2022年(令和4年7月) 63号

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私は80歳のガンマンでね

 勾玉のような2つの島が細い絆で繋がった島根県隠岐諸島の一つ西ノ島の深く入り込んだ美田(みた)湾の岸辺。旧道沿いに長く続くアスナロの板塀に囲まれた屋敷の門を潜る。太い幹がうねるように斜めに伸びるクロマツを右手に見て、飛び石に誘われるまま玄関前に立つと、軒先に並べてある重箱式待ち箱3台が目に入った。手前の待ち箱には分封先を探す偵察蜂が来ているようで、数匹のニホンミツバチが巣門を出入りしている。

 玄関の引き戸を少し開けて声を掛けるが、返答はない。薄暗い土間の奥に玄関の間が続く。ヒノキの一枚板で造られた衝立の前には徳利が置かれ、その奥は一辺3尺近くもありそうなケヤキの大黒柱。只者の屋敷ではなさそうだ。

 玄関から母屋左側の中庭に回り込むと、奥の車庫兼作業場で重箱式巣箱の継ぎ箱を制作している知夫・中ノ島 和蜂復活プロジェクト代表の安達 和良(あだち かずろう)さん(80)の姿が見えた。ふっと目を上げて、私を認めた和良さん、一瞬のためらいもなく道具を置いてサッと立ち上がると、勝手口の土間へ私を招き入れた。

 「私は80歳のガンマンでね」と突然、和良さんが言う。「9年前に胆嚢が腹の中で爆発してね。7週間、点滴だけで生きていたんです。72キロあった体重が53キロ。胆管を悪くして2回は死にかけた身ですから普通に暮らしてはいるけど、元気とは言えないですね」と話しながら、和良さんが差し出した名刺の写真には、ピンク色のバラにニホンミツバチが集まり、花弁を齧っている様子が写っている。

 「バラの花弁を齧るんですね。ミネラルやビタミンを補給しているんだと思います。私、花栽培が好きでね。観察していると、菊も齧りますしね、葉っぱも齧りますね。ニホンミツバチは隠岐諸島の中ノ島(なかのしま・海士町)と知夫里島(ちぶりじま・知夫村)では全滅していたんです。しかし、島後(どうご・隠岐の島町)とここ西ノ島(にしのしま・西ノ島町)は、わずかですが生き残っていたんです。戦後、材木不足の時代に島が丸裸になるほど山の木を伐っていましたし、松食い虫の被害が出た時には農薬の空中散布が激しかった。樹齢250年の見事なクロマツが枯れてしまいましたからね。巨樹の洞が無くなってしまって蜂の住居不足だったんですね。木の洞や根の穴、神社の狛犬や墓の台座に野性のニホンミツバチは巣を作りますからね。昭和50(1975)年代に島のクロマツが全滅しましてね。でも、その後は気候風土に合った先駆植物が芽生えてきて、蜂の食源になっていくんです。シイ、マテバシイ、サクラ、サルスベリ、ツツジなどが芽生えて、復活は早かったです。アカメガシワやカラスザンショ、ヤブニッケイ、クリなども早かったです。それにヤツデ、ナンテンもありますね」

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