県最年少の校長に
自宅裏山の蜂場で待ち箱の点検を終えた和良さん
「私の先祖は、福井県の越前町から享保20(1735)年に今で言うIターンで西ノ島美田村に移住して来たんです。廻船問屋をやっていて三田村性を名乗っていたんですが、偶々、移住してきた先が美田村で、姓が三田村だったものですだから紛らわしく、トラブルを避けるためにも嫁方の姓を名乗って安達姓になったんです。私で10代目。息子に子どもが居りますから12代までは何とか……。小味噌屋という屋号の越前三田村の26代本家との交流は、今も続いていますよ」
和良さんの先祖が、島根県隠岐郡西ノ島に287年前から住むことになった謂れを語る。
和良さんが飼っているプリマスロックの雛
島を出て東京農業大学へ進学した和良さんは、昭和41(1966)年に大学を卒業して高校の教師となった。
「卒業前には頼まれて、私立上野学園大学付属高校で学生服を着て教壇に立っていましたね。大学を卒業してから3年間余は、そのままそこの附属高校で理科の教員をしていましたが、隠岐の島村(当時)から『教員が足らない、助けてくれ』と連絡があって、昭和44年10月1日に隠岐の島村立都万(つま)中学校で社会と技術を担当しました。社会の授業はしばらく教職の単位を取らないまま教壇に立っていましたね。45歳の時には、島根県で最年少の校長になり、その後も15、6年間は校長として学校勤務を続けました。早く校長になって良かったことと悪かったことが相半ばしたと思っています。教師として子ども達と接する時間が減ってしまったのは残念だったのですが、自分の理想とする教育の具現化に力を注ぐことができたのは良かったですね」
毎朝の仕事は飼っているニワトリに水をやることから始まる
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