2022年(令和4年7月) 63号

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船引運河

西ノ島では馬や牛が放牧されていて、自由に草を食む牛馬が見られる

 「あ、これ、カラスザンショ、良い蜜出しますよ。あれは、ネムノキ、あれも良い。カラスザンショ、ミズキ、アカメガシワが早いですね。ネムもそうです。クロマツが枯れた後、放置していたから先駆植物が生えてきて、良い蜜源になるんですよ」

 西ノ島の景観を形作っていたクロマツが昭和50(1975)年代に枯れてしまった後、島の自然環境に適した先駆植物が芽生え、ニホンミツバチの蜜源になっている状況を案内してもらっている時のことだ。

 僅かに地続きだった西ノ島は、大正3(1914)年から1年がかりで、村の年間予算を超える総工費1万7千円を掛けて船引運河を開通させたことで、人為的に2つの島に切り離された。それまでは島の北側に広がる好漁場の外海へ出漁するのに、手漕ぎ舟の時代には舟を曳いて陸路を越えていたので「船越」という地名になったと伝えられている。漁船が大きくなれば、浦郷湾、美田湾の深部から南へ漁船を迂回しなければならなかった漁師たちは、船引運河を通って最短で漁場へ行くことが出来るようになり、運河は西ノ島漁業の繁栄に大きく貢献することとなった。現在では、昭和49(1974)年に終わった拡張工事により長さ300m幅12m水深3mの大きな運河となっている。

ミズキ

 船引運河の外海側出入り口の傍には美しい砂浜が湾曲する外浜海水浴場がある。和良さんの軽トラックが外浜海水浴場を起点とする町道を走り始めると、至る所で崖崩れの土砂が道路の半分ほどを塞いでいたり、大きな岩が道路の真ん中に転がっている。「去年の災害の大きさがわかるでしょ」と、和良さん。昨年の台風19号の傷跡が残っているのだ。

 「マタタビもありますね。マタタビは目立つんですよ。真っ白い葉が出ますからね。ビナンカズラ、ツルアジサイもありますね。この山は高崎山といいますけど、ミズナラが生えています。珍しいんですよ。蜂を飼うとね、蜂の目線で山を見るようになるんですよね。蜜を出す花はどうかなって……」

 高崎山南側の山中をくねくねと蛇行する町道を東へ進み、島の東側に出た地点で和蜂プロジェクトの仲間が待ち箱を置いている場所があるからと、和良さんが軽トラックを停めた。町道から林の中の踏みしめ道をわずかに進むと、待ち箱が2台据えてあった。蜂の気配はしない。蜂箱がうっすらと埃に覆われている。「やっぱり熱心にやらないと(蜂は)捕まりませんね」と、和良さんはがっかりしている。

 夕方、船引運河を渡る小さな橋を越えて西ノ島の西側をレンタカーで走っていると、放し飼いの馬数頭が草を食んでいるのが見えた。母馬の乳をねだる子馬もいる。子馬の写真を撮ろうと車を降りると、私に気付いた遠くの1頭がトットットットと小走りで私に近づいてくる。そのうち立ち止まるだろうとカメラを子馬に向けてシャッターを押す機会を窺うが、向かって来る馬は止まる気配がなく、他にいた数頭の馬も一斉に私を目掛けて走ってくる。不安が胸を過る。写真を諦めて、ゆっくり後ずさりしながらレンタカーに戻り運転席のドアを閉めるのと同時に、大きな馬が目の前でブォンと鼻を鳴らして威嚇した。

イタドリ

 夕陽が傾き山の影が大きくなってきた。当てもなく車を走らせていると、道端の草を食む放し飼いの大きな牛2頭が道路にいるのに出くわした。鼻輪は付けているが放し飼いだ。狭い道を牛を避けながら徐行する。すれ違いざまにジロリと睨んだ牛の目の大きさにたじろぐ。写真を撮るどころではない。窓を開けずに牛をやり過ごし、しばらく車を走らせていると日陰になった山の陰で草を食む1頭の馬を見付けた。草を食むのに夢中で私の存在には無関心。遠くから1枚だけシャッターを押して、逃げるように車を走らせた。

 いつの間にか、西ノ島の観光名所として知られる国賀(くにが)海岸に出ていた。指定されていた夕食の時間が過ぎていたので、日本海に沈む夕陽を観音岩と重ねて撮影し、すぐに宿に向かった。

  島根半島の北方40〜80キロの日本海に浮かぶ隠岐諸島には、縄文初期の時代から人が住み本土との交流の痕跡がある石器や土器が出土しているという。現在でも、本土松江市七類港から西ノ島別府港まではフェリーで2時間30分も掛かるのに、縄文時代にどんな舟で、どんな手段で本土と交流したのだろうか。想像を絶する。隠岐諸島には人が住む以前からニホンミツバチは生息していたのだろうか、人びとが交流する中で、いつの時代かに連れて行ったのだろうか。一旦は絶滅した知夫と中ノ島のニホンミツバチを復活させようとした安達和良さんたちの試みは成功し、現在では隠岐諸島のどこででもニホンミツバチが飛び交う姿を見ることができるそうだ。隠岐諸島における人類と蜂の歴史を復活させたのだ。絶滅してしまえばニホンミツバチが隠岐諸島に生息していた事実さえ歴史から消えてしまったかも知れないのだから。

 

国賀海岸から望む

国賀海岸 観音岩

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