素敵だと思ったらド直球でアタック
蜂場での内検を終え、事務所駐車場でブドウを手にする志帆さん
小さな白い稲の花が咲いている。周りに水田が広がる田園風景の中に茅葺き屋根の古民家を改装した株式会社ときつ養蜂園の店舗兼事務所は建っている。
「蜜蜂の目線で考えると人間ってめっちゃデカいし、内検の時にはいきなり天井を開けられて怖いじゃないですか。蜂一匹一匹は人間でいったら細胞みたいなもので、超生命体というか、群全体が一つの生命体だと蜜蜂は認識しているのだと思うんです。蜜蜂は生まれてすぐに掃除をする役割を果たすじゃないですか。誰かに教えられたり命令されたりするのではなく、それがすごいなと思うんです」
山口県山口市仁保(にほ)下郷に拠点を置く株式会社ときつ養蜂園の専務で、はちみつマイスターでもある時津志帆(ときつ しほ)さん(27)が、哲学ともいえる養蜂家の核心を語る。
朝露の輝く稲穂にショウリョウバッタ
志帆さんは、山口県下関市出身である。
「母親が厳しく育てたために、私は摂食障害を経験したこともあるくらいで『勉強しろ』と押し付けられてばっかり。でも、私は何の為に勉強をするのかが分からずに、ずっと疑問を持っていました。中学と高校時代は広島市の母方の祖母に預けられていて、抑圧されて育ちましたね。山口大学に入学して自由を得ました。部活は、格好良さそうと思って少林寺拳法を始めたんです。それまで独りで悶々とした時間を過ごしてきたので、部活で、同じ目的、同じ仲間で努力することに感動して、仲間と一緒に居ることが楽しくて……。その頃、大学の少林寺拳法道場に指導に来ていた後に結婚することになる佳徳(よしのり)さんが素敵だなと思いました。素敵だと思ったらド直球でアタックしました。佳徳さんはその当時、悪性リンパ腫を治療中で16歳も年上。父親からは『お前、頭おかしいんか』と言われ、仕送りは止まり、アパートも解約。『勉強だけしてくれ』と言われましたけど『違う』と反発して、終には勘当されました。学費も払えなくなったけど『好きで一緒に居りたいから一緒に居る』と、授業料を免除してもらう大学の独立生計申立書をクリアーして通学は続け卒業しました。佳徳さんと出会って1年後の2015年3月に彼が、ときつ養蜂園を創業しましたので、(佳徳さんが)農業をやりたいんやったら一緒に農業をやる、と心に決めました。あの頃は、誰もやったことがない道を選びたい、他と違う道を選びたいという欲求がメチャメチャ強かったですね。大学は教育学部で、先生になる道を目指していたんですが、あの時点で先生にはならない選択をしました。自分の人生を通して得た知見を教育に活かすのが本当の先生ではと思ったからなのです」
過激かつ純真な気持ちを包み隠さずに伝えようとする志帆さんの姿勢に、私は圧倒された。志帆さんの両親の側から見ると、大学に入ったばかりの娘が16歳年上の癌患者の男性と結婚したいと告げて、素直に「おめでとう」と喜べないのは当然だったように思える。しかし、志帆さんは両親と決別しても一途な恋を貫き、時津佳徳(ときつ よしのり)さん(43)と一緒に養蜂業を始めたのだ。
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