FFCで農業をやれば儲かる
ときつ養蜂園の店舗入口付近 黄色い車は出動を待つキッチンカー
「茅葺き屋根の祖父の家を改装して4年前から住み始めたんです。長い間、祖父が一人で暮らしていた古民家だったので掃除するところから始めましたね」と、志帆さんが教えてくれた店舗兼事務所はモダン和風の雰囲気を醸し出している。「現在、100歳になった祖父は施設で暮らしていますが、若い時には日本養蜂協会の副会長を務めていたこともあって、1985(昭和60)年に名古屋市で国際養蜂会議があった時の責任者としてプロポリスをブラジルから初めて仕入れたと聞きました」。
こんなエピソードを聞くと、ときつ養蜂園の潜在的なルーツは祖父の存在にあると思うが、佳徳さんが直接養蜂の指導を受けたことはないそうだ。ただ、祖父の営む農業を手伝いに行った時に「農は尊かろうが、これが人間ぞ」と言われたことが、農業へ向かう原点となっているのは確かだ。その反面、親しくなった近所の農家が「農業は儲からん、きつい」とばかり言っていた印象も残っていると佳徳さん。
浅地蜂場で高波動水を噴霧する矢野めぐみさんと濱本美保さん
両親の家で佳徳さんが医学部を目指して浪人していた時、母親がパイロゲンを使っていた記憶と関連があるのかないのか、祖父の農業を手伝いに行っていた時期にFFCテクノロジー技術の普及に努める株式会社赤塚の研修会に参加し「FFCの考え方で農業をやれば絶対儲かる」と確信を持ったと言うのだ。それは恐らく、抗がん剤を使った治療を受けていた時「食事だけで元気になりました」と佳徳さんが言う「自然免疫を働かせよう」という考え方にも通底しているのだと思う。「パイロゲンを飲んでいると、抗がん剤のダメージが少なくて」とも佳徳さんは言っているので、考え方というだけではなく自らの身体が示した反応の実感でもあるのだ。朝、矢野さんと濱本さんが巣箱にパイロゲンを噴霧していたのが「FFCの考え方で農業をやる」の実践となれば、ここは避けて通ることはできない。
志帆さんは、FFCテクノロジーというのは水を活性化させる技術で、Ferrous Ferric Chloride(水溶性二量体鉄塩)というのは、水に溶け、酸化と還元の両方の作用を持っている状態の鉄化合物だと説明してくれるが、理解はできない。私としては難しいところに入り込んでしまったようだ。ここでは、1985年にFFCを偶然発見して技術開発をし、パイロゲンという高波動水を商品開発して販売している株式会社赤塚という会社があることを紹介するに留める。
スズメバチの捕獲器にはスズメバチの他に雄蜂も入っていた
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