就農準備を始めた矢先に悪性リンパ腫
時津佳徳さんが巣房の状態を確認する
ここで佳徳さんの話を聞くことにする。
「医学部に入るために5年も浪人しましたね。そのため23歳まで親と一緒に暮らしていましたけど、最終的には山口大学の理学部数学科に入学して数学を学びました。大学院卒業までに微分幾何学や多次元論などを勉強しました。だけど、学部生の時から祖父の農業を手伝いに行ったり近所の農家との付き合いの中で、祖父から『農は尊かろうが、これが人間ぞ』と言われたことが印象深く心に残って、学部4年の研究生に進学する時『人間としては生産しなければいけない。生産あってこそ人間を支える』と考え始めると迷いが生じて、数学なんかやっても意味がない、農業をやりたいと思って1年間留年したんですね。その頃に、担当教授だった中内伸光教授から『論理で考えるのは農業でも役立つ』と言ってもらえて、改めて数学を勉強する気持ちになって大学院を無事に卒業することができました。院卒で警察官として就職したんです。しかし、警察官の生活は私にとって最悪でした。上司との相性が悪いというのもあったかも知れませんが、朝、昼、晩、夜食の食事がコンビニのパンとカップラーメン。眠る時間もない。身体的にも精神的にも追いつめられて、ストレスもすごかった。警察官には糖尿病や癌が多いんですよ。
蜂場での内検を終えて事務所に戻った時津夫妻
逮捕術の成績も良かったのに上司からなじられるし、警察官で居れば経済的には安定だったかも知れないけど、ここに居れば老後なんてないんやけん、こんなんおかしいやろ、ああ、俺、これ辞めようと思いましたね。辞めた瞬間に楽しい世界が待っていたんですよ。昼間は農地の土作りを勉強するためもあってJA育苗センターでアルバイトをして、夜は塾で数学や理科、英語の講師をしながら就農準備を始めた矢先、34歳の時に悪性リンパ腫が見つかったんです。直径4センチほどのしこりでした。発症は警察官の時にしていたんでしょうね。摘出手術をして抗がん剤を使った治療を受けましたが、約9か月間入院していた8人部屋で自分だけが元気になっているんですね。あの警察官時代に比べれば癌の治療にも耐えられました。闘病期間中に食事について勉強しました。入院中の病院食は全てキャンセルして、少林寺拳法の練習に毎日行っていました。抗がん剤治療も受けていましたが、自分としては『食事だけで元気になりました』というのが実感ですね。自然免疫を働かせようというのが、僕の考え方なんです」
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