2022年(令和4年8月) 64号

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瑠璃光寺 五重塔

瑠璃光寺 五重塔

 ときつ養蜂園のキッチンカーが出店していた道の駅・仁保の郷のデッキでハニーレモンドリンクを飲んでいると、私と同じ世代らしい高齢の男性が声を掛けてきた。

 「あんた、何処から来とるんかね。写真を撮りに来たんかね」。好奇心丸出しだ。「ほう、車で来とるん。宮崎から何時間くらい掛かるかね。そうか、レンタカーか。山口では何処に行ったかね。え、仁保だけ、そりゃ勿体ない。錦帯橋は行ったら、ええけどな。時間がないって、あんた、暇で、山口に来とるんやろ。ほんなら、せめて、瑠璃光寺の五重塔は見といた方がええ、国宝や、美しいよ。瑠璃光寺は、ここからやったら20分掛からんやろ、すぐや、瑠璃光寺の五重塔は見といた方がええ。折角、山口に来といて、瑠璃光寺にも行かんと帰ったら、そりゃ勿体ない」

 そこまで地元の方が勧めてくれるならば、ということで瑠璃光寺を訪ねた。

 予備知識なく瑠璃光寺境内の門前に立つと左右に開放的な庭園が広がる真ん中に参道というのか情緒は感じられない石敷き通路が真っ直ぐ本堂へ向かっている。本堂の手前には山門、その両側には回廊の瓦屋根が左右に延びている。奥に見える本堂の入母屋造の屋根は分厚く堂々としているが、肝心の国宝・瑠璃光寺五重塔がどこに建っているのか分からない。

瑠璃光寺 本堂内

 門を過ぎて左の大きな東屋にはボランティア観光ガイドの方が数人、少々手持ち無沙汰な様子で座っておられる。観光ガイドに尋ねてみようと歩み寄りながら何気なく反対方向を見ると、右手の池の奥にひっそりと瑠璃光寺五重塔が建っているのに気付いた。

 ひっそりと言っても決して小さくはない。高さ31.2メートル、檜皮葺(ひわだぶき)5層の屋根は堂々とした立ち姿だ。装飾の少ない黒ずんだ木造の塔が、周辺の深い緑色の木々や背景の山に埋もれていて「ひっそり」と感じたのだった。

 建立は1442(嘉吉2)年。応永の乱・1399(応永6)年で戦死した大内義弘の菩提を弔うために弟の盛見が建立を計画したそうだ。塔身部は上層ほど間を詰め細くなっているので高さが強調され、初層は丈が高く柱も太いため安定感を感じられる美的構造になっている。地味ではあるが美しいと言われる理由が伝わる。

 何の知識もなかったためインターネットで情報を検索していると、いつの時代なのか「山口名所はがき 瑠璃光寺五重塔」という絵はがきが掲載されていて、驚くことに現在は池になっている場所は田んぼか畑か、農作物らしき植物が写っている。「山口名所はがき」の写真なのだから、そう遠い昔の記録ではない。ひょっとしたら敗戦後の食糧難の時代なのか。建立から580年間、瑠璃光寺五重塔の周りに暮らした人びとの姿を想像するだけでも、時間は豊かに過ぎる。建立が580年前ならば、着工はいつで、どれほどの歳月を掛けて建立されたのか。江戸時代には数回にわたって修理され、1897(明治30)年代は屋根の損傷が激しく1908(明治41)年に本格的な修復が決まったが費用がなかった。そのため応急修理が行われ、1909(明治42)年の防長新聞には「亜鉛板で屋根を葺きを(お)る始末」という記事が載ったらしい。現在の姿に蘇るのは1915(大正4)に始まった解体修理があったからだと記録にある。

 道の駅・仁保の郷で好奇心旺盛な男性に勧められて訪ねた瑠璃光寺五重塔だったが、「牛にひかれて善光寺参り」の意味を噛みしめる結果になるとは思いもしなかった。

瑠璃光寺 本堂前

瑠璃光寺 五重塔

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