中学を卒業して養蜂家に付いて歩いた
自宅裏山の蜂場で蜜蜂の動きを観察する田中常雄さん
「そうじゃな、500群ぐらいありゃせんかな。9月と10月に女王さんを作る試験をするんじゃ」。岡山県倉敷市児島を拠点とする倉敷田中養蜂場の田中常雄(たなか つねお)さん(85)が、王台から生まれ出たばかりの新女王蜂を指差しながら、こう言う。
常雄さんの一生は、蜜蜂と共にあったと言っても過言ではないが、養蜂家かと問われれば、少々ニュアンスの異なる面もあるようだ。
自宅前庭の棚置き方式の蜂場の巣箱群は蜜蜂が谷に向かって飛び出すように巣門が向けてある
「鹿児島県にな、志布志市という所があるんですよ。わしのな、生まれは志布志なんですよ。終戦が尋常小学校3年生だった。戦闘機がダダダダーッと竹藪を撃ってきたのを覚えとる。昔だからな、兄弟が6人居ったんですよ。食べるのが大変で口減らしで、勉強どころじゃなかった。志布志市は松山町やったけど、そこで養蜂家に出会った。三重県の人が蜜蜂を持って来ておって、わしは中学を卒業してすぐ弟子みたいに、その養蜂家に付いて歩いたんですよ。弟子というのが他にも居って、みんな辞めていったけど、わしはずっと居ったな。養蜂家は夜になるとバーに飲みに行って、パチンコにも行って、お金は持っとったんじゃろな。三重県の養蜂家と一緒に暮らしながら、志布志の菜の花(の採蜜)には何年か行ったな。わしの成人式は三重県でやったからな」
こうして常雄さんの人生は養蜂家の弟子として第一歩を踏み出した。
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