2022年(令和4年10月) 66号

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俺もヤキが廻った

 「2代目忠造と房子さんの間には、娘ばかり3人の子どもが居るんです。長女が私の妻になっている花恵(はなえ・67)で、二女は結婚して近くに住んでいまして、母親の房子さんの様子を見によく来てくれています。三女の恵(めぐみ)さんの夫が、現在一緒に働いている養蜂部長の五十嵐和也(いがらし かずや)さん(45)。それともう一人は、花恵は私との再婚なんですが、前夫との間の子が長嶺清志(ながみね きよし)さん(35)で、一緒に養蜂場で働いているんです。私は長女と結婚したんですが、養子に入ったのではないので元の姓の長沼を名乗っていて、清志さんが長嶺の姓を継いで、現在は、祖母の房子さんと一緒に長嶺の家で暮らしているんです」

 久雄さんは、家族の歴史や現状を詳しく語りながら、厚み5センチほどある和綴じの古い書物を大きな封筒から取り出してきた。表紙に墨字で「昭和七年秋より 養蜂日記」とある。初代忠造さんが創業の時から付けていた養蜂日記だ。始まりは数字ばかりが並んでいるので経理帳簿として記入を始めたと思われるが、やがて日ごとの出来事が記入され備忘録となっている。

 初代忠造さんは書記職として役場に勤めていたので、日々の記録を小まめに付けることは得手だったのだろう。ペン字で細かに書かれた日記を読み解くのは少々困難を要するが、昭和30年8月18日の記述には「第9回定期総会」と書かれてあり、福島県養蜂協会の総会が開催されたと思われる。県から技師と職員も出席して総会は無事終了し、慰労会はなし、とある。その後、自宅のある高久(たかく)へバスで帰るのだが、その時に事件が起きていた。「其の際、九千円程入りし封筒スラレた。バス待合所なり、俺もヤキが廻った。家族に面目なし」。調べてみると、当時の大卒公務員の初任給が8700円だとある。公務員の一か月分給料分がそっくり掏られたというのだから大ごとである。「俺もヤキが廻った。家族に面目なし」の記述に、初代忠造さんの人柄が滲み出ていて親しみを覚える。同年の9月3日には、初代忠造さんの初孫、後に久雄さんと結婚することになる花恵さんのお宮参りの記述も読み取れ、「吾が家も一人増えた訳だ」とある。初孫の誕生を喜ぶ気持ちが伝わってくる。

 もう一つ、久雄さんが見せてくれたのは、事務所の壁に飾ってあった初代忠造さんの時代に撮影された額入りの古い白黒写真だ。刈り取られた稲株が連なる田んぼの中に巣箱が整然と並べられ、遠くに磐梯山が聳えている。まさに、現在の長嶺養蜂場横の風景で、広がる田んぼと磐梯山の聳える風景は現在もまったく同じだ。越冬のために千葉県房総半島へ移動させていた蜜蜂群が、春になり会津に戻ってきた際、会津の蜂場へ分散して置く前に田んぼを借りて仮置きした時のようだ。それにしてもすごい数の巣箱。初代忠造時代の経営規模の大きさが伝わってくる。

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