うちで働く嫁が欲しいと
2代目忠造(本名・忠男)夫人の長嶺房子さん
午後からは、これまで何度も久雄さんの話に登場してきた長嶺房子(ながみね ふさこ)さん(90)に、自宅の居間で話を聞かせてもらった。耳が少し遠くなっているとのことで、久雄さんに仲介を務めてもらった。
「長嶺の家に嫁に来たのは昭和26年、19歳でしたね。蜂屋の嫁だからお舅さんの言うことを聞いて、その通り努めなけりゃと思っていましたね。夫の忠男さんは男前でしたよ。忠男さんには密かに思う方が居られたようですが、私はね、目と鼻の先、すぐ近くの家で育ったので、お舅さんが見ておられたのかね。『うちで働くことができる嫁が欲しい』と乞われて、嫁に来たんです。嫁に来た頃は、ハイハイと言うて、頭を下げとるだけですもん。採蜜の日は、朝3時4時起きで、明るくなるのを待ってたんだもん。隣村の人をトラックの運転手さんに頼んでいましたね。手伝いの人が常雇いで4人居ましたわ。採蜜の時には常雇いの人の他にも手伝いの人が来ていましたね。あの頃は、ただ働くだけだったですしね。昔というのは、みんなそうだったんじゃないですか。3時4時に起きて弁当作り、泊まっている人の分、4人くらいだったかね。おかずは家にあるものです。2食弁当、みんなお腹が空いていたから、1回で食べてる人もいたようだったですよ。雨が降った時には休み。じいちゃん(舅)は上手に仕事を与えてくれなすから。ただ、無我夢中で年取ったんでねえの。嫁はこんな苦しいのかと思ったこともないし……。蜂の世話もしましたよ。蜂の中さ手を突っ込んでんだもん。手袋してたりしてなかったり、何度も刺されたけど、あら、なんだべな、で終わっちまって、腫れることはなかったね。現在は現在で、良くしてもらってっから」
房子さんが若い時から快活でテキパキと仕事の出来る女性であったことが言葉の端々から伝わってくる。房子さんの話を伺っている時、この日、仕事を休んでいた長嶺清志さんが若い女性と一緒に帰宅してきた。居間に入るなり「今、婚姻届を出してきた」と、皆に報告。その場に居た房子さんや久雄さん、ちょうど房子さんの様子を観に来ていた二女も、皆さんが一斉に拍手で迎えた。若い女性は婚約者だったのだ。どうやら闖(ちん)入者の私の居場所はなくなったようで、早々に退散した。
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