2022年(令和4年10月) 66号

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子どもの頃から馴染みが

 この日は休みを取って、自宅で寛いでいた清志さんに無理を言って、高久蜂場の片隅に聳えるビービーツリーの傍で話を聞かせてもらった。

 「祖母ちゃん(房子さん)が(養蜂を)やっていたんで、子どもの頃から馴染みがありましたけど、本格的にやり始めてからは、まだ10年くらいかな。初代の頃の巣箱が今も倉庫に残っていますよ。今は使ってはいませんが、当時は、あの箱が600個ぐらいあったといいますから。今年、東北圏内は(蜜の採れ具合が)あまり良くなかったですね。蜜源も減っていますから。仕事としては、やっぱ山に行って自然の中で仕事できるのは、自分に合っています。秋には、トトロが住んでいるような真っ赤になった山に入って行くんでワクワクします。20歳代は工場勤めも僕、していたんですけど、朝出勤して夕方退社すると、もう夜じゃないですか。外も見えない工場の中で、工場の光の中だけに居る生活は、やっぱ一年くらいしか続かなかったですね。25歳くらいまでは海外へ行ったりして、オーストラリアの農家で働いていました。バナナを採っていたんですけど、ほんと泥だらけでやって、8か月くらいはそこで働いてみて、こっち(養蜂)の方が自分に合っているんだなと思ったです。採蜜の時には、ほんと、山の緑色がきれいで、すごいんですよ。それも一か月間くらいですけどね。最近は、(蜜が)これは入ったなという程の採蜜はやってないんでね。来年こそはって思っています。結婚してから嫁が養蜂をですか……、いや、やらないと思います。虫は嫌いと言っていたから」

 気負い無く淡々と話す清志さんの言葉の端々から、自然の中で働くことに喜びを感じていることが伝わる。幼い頃から身近に蜜蜂の居る暮らしがあった清志さんの存在は、株式会社長嶺養蜂場の未来に明るい光を感じさせる。

 

 取材を終えて別れ際に「原画は、私が5年前にクレヨンで描いたんです」と、久雄さんがハガキ大に印刷された栞を手渡してくれた。画面の真ん中に会津を象徴する磐梯山が聳え、その手前に鶴ヶ城(会津若松城)が淡い色で描かれた、ほのぼのとした牧歌的な絵だ。3代目を継ぐ者が居ない状況の中で創業家を潰す訳にはいかないと、「義を見てせざるは勇なきなり」の精神をもって養蜂業に飛び込んだ久雄さんは、絵が表すように朴訥な人柄ながら、根底には会津武士に通じる芯の強い魂を持っているようだ。その行動の成果が、五十嵐さん、清志さんへと受け継がれることが確実となり、久雄さんの安堵の気持ちが栞の絵に滲み出ているのだと思った。

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