養蜂は人に感謝される仕事
荒川蜂場近くを流れる沢の淵に積もった落ち葉を手にして「この菌が良いんですよ」と野々山さん
その時はまだ、蜂屋でやっていこうとは思ってないから、自動車修理工場の従業員が帰った後で、巣箱を作ったり巣枠を組み立てたりしていたら自動車修理工場が木工場のようになっちゃって……。冬になって、巣箱を段ボールで囲ったり、中に仕切り板を入れたりして越冬させて、春を迎えた時、蜜蜂が残ってくれていた時は嬉しくてね。それが切っ掛けで羽音を聞いても体が緊張することはなくなりました。当時は、1週間に一回、律儀に内検に行っていましたからね。更に蜂屋さんから話を聞けば聞くほど自動車修理工場と蜂屋、どっちかに絞らなければと思うようになっていったんです。決心する直接的な切っ掛けは、長野県に初めての転飼で採蜜に行った時でした。
荒川蜂場ではスズメバチに襲われて2群が全滅していた
巣箱をトラックに積んで、テント生活していました。養蜂業というのは、そういうものだと思い込んでいましたね。その時に大雨が降って、自分のテントが水没しかけて脱出しようとしたんですが、車が泥濘(ぬかるみ)にはまって困っていると、近所の見ず知らずの農家の方が車を押してくれたんですよ。『あんたらの蜂が来たら、畑のズッキーニやなんかの生りが良くなった。有り難かった』と言ってもらえて、養蜂は人に感謝される仕事なんだと実感しましたね。そっから1年後ですよ。蜂一本で食べて行こうと決心したのは、中途半端は嫌なんでね、思い立ったら、それに全力で向かって行くと……。従業員の受け入れ先を見付け、機械などを売って、1年掛けて自動車修理工場を閉鎖しました」
スズメバチに襲われて全滅した蜜蜂群巣箱の巣門前
荒川蜂場近くにはトチの大木が生えていた
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