2023年(令和5年1月)68号

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上陸したら鯨の背中だった

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 僕は長く海外に居たんですよ。出身は熊本県菊池市なんです」。松永さんが養蜂を始めるまでの経緯を話し始めた。再び、ニライナリゾートのロビーである。

 「九州から東京に出て、それからオーストラリア……、西表島に来たのは1990年。海の仕事をしていて、落下傘部隊のアメリカ人にエジプトのレッドシー(紅海)も薦められたんだけど、結局、オーストラリアの就労ビザが切れることもあって、日本に帰らなければいけなかったのが1990年でした。その時に本土に帰ることは考えなかったな。真っ直ぐ西表島。ずっと海でダイビングのインストラクターをしていたから、南の島に行きたかったんです。ヤシの木が3本ばかりあって、上陸したら鯨の背中だったというような、そんな夢見る少年なんですよ。26歳で西表島に来て、仙台市生まれの女性と結婚して、子どもが2人生まれて……。子ども達は、この島を好きみたいですね。この島で生まれたことを誇りに思っているようだから……。今は、島に居ないです。傷だらけになって闘ってこいって……」

 「僕は島でダイビングサービスをやって、自然に優しいということでヨットを使っていましたね。しかし、何で蜂を始めたんだろうな。何かが繋がったんだろうね。(僕の)自然志向と蜂が繋がったんだろうね……。なぜ蜂だったかははっきりしないけど、蜂は(始めて)10年くらいになるのかな。本島北部の養蜂家の方に蜂をちょっと教えてもらって、後はほとんど独学ですね。大学の先生がニライナリゾートのゲストで泊まられた時に『甘露蜜かも知れない』と言われた蜜が2週間だけ2回、お盆の頃に採れたことがあるんですよ。真夏ですから、花は咲いていないんです。バニラみたいな強い香りがいつまでも続く蜜で、蜜蜂がどこから集めてきたのか……。この島には何が居るか分からないですね。それにツマグロスズメバチやアブ、黒アリなど、とにかく敵も多いですね」

 松永さんの話題は再び、西表島の自然と養蜂の関係について戻っていく。

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