上陸したら鯨の背中だった
松永さんが群を分けるために燻煙器を準備する
僕は長く海外に居たんですよ。出身は熊本県菊池市なんです」。松永さんが養蜂を始めるまでの経緯を話し始めた。再び、ニライナリゾートのロビーである。
「九州から東京に出て、それからオーストラリア……、西表島に来たのは1990年。海の仕事をしていて、落下傘部隊のアメリカ人にエジプトのレッドシー(紅海)も薦められたんだけど、結局、オーストラリアの就労ビザが切れることもあって、日本に帰らなければいけなかったのが1990年でした。その時に本土に帰ることは考えなかったな。真っ直ぐ西表島。ずっと海でダイビングのインストラクターをしていたから、南の島に行きたかったんです。ヤシの木が3本ばかりあって、上陸したら鯨の背中だったというような、そんな夢見る少年なんですよ。26歳で西表島に来て、仙台市生まれの女性と結婚して、子どもが2人生まれて……。子ども達は、この島を好きみたいですね。この島で生まれたことを誇りに思っているようだから……。今は、島に居ないです。傷だらけになって闘ってこいって……」
巣板の上部には蜜蓋が出来、中央部には蜂児がいる
「僕は島でダイビングサービスをやって、自然に優しいということでヨットを使っていましたね。しかし、何で蜂を始めたんだろうな。何かが繋がったんだろうね。(僕の)自然志向と蜂が繋がったんだろうね……。なぜ蜂だったかははっきりしないけど、蜂は(始めて)10年くらいになるのかな。本島北部の養蜂家の方に蜂をちょっと教えてもらって、後はほとんど独学ですね。大学の先生がニライナリゾートのゲストで泊まられた時に『甘露蜜かも知れない』と言われた蜜が2週間だけ2回、お盆の頃に採れたことがあるんですよ。真夏ですから、花は咲いていないんです。バニラみたいな強い香りがいつまでも続く蜜で、蜜蜂がどこから集めてきたのか……。この島には何が居るか分からないですね。それにツマグロスズメバチやアブ、黒アリなど、とにかく敵も多いですね」
松永さんの話題は再び、西表島の自然と養蜂の関係について戻っていく。
深い草原と林に囲まれエアポケットのようなニライナ養蜂場の蜂場
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