腹のぷっくら膨れた蜂が帰ってきよった
昼ご飯はトラックの運転席で弁当
トラックの運転シートに並んで昼食の弁当を食べながら、藤岡さんに昔話を聞かせてもらった。
「20歳の頃やけどな、ミカンの花が咲く頃には、空がうっすら明るうなってきたら蜂がドンドンドンドン花に行きよったでぇ。そのうち腹のぷっくら膨れた蜂が帰ってきよったわ。蜜もようけ採れたけど、昔は自分で蜜を売ることができんけんね。その頃は問屋に売りよったけん、ええ商売にはならんかったね。今は、蜂屋さんも3分の1から減ってしもたね」
人工花粉を勢い良く食べる蜂を見て「花粉やって飼いよるけんね。冬の間でも卵産みよるぜ」と藤岡さん
「こまい(小さい)時から蜂に興味があったのよね。蜂を飼うてみたかったのよね。親父に蜂を買うてくれと頼んだのが中学の頃、実際に蜂を飼い始めたのは高校の3年になった頃じゃと思うけどね。初めて蜂を飼い始めて、もう50年からになるの。ぼくも米も作りよったで、親父がやりよったけんね。ぼくは2回も交通事故でむち打ちになって、ぬかっとる田んぼに入って仕事しよったら歩けんようになって、7反5畝ばあいの田んぼやけど這うて畦畔まで出てきたら歩けるようになっとったことがあったね。今、困るのはむち打ちよ。結局、無理したら首にくるけんね。20歳の頃には、愛媛県砥部町のミカン畑に蜂を持って行きよったね。ミカンは表番、裏番があるわけよ。その頃は、ここらでレンゲが採れよったけんね。愛媛の人が裏番の年も安定した収入が欲しいということで、レンゲを採りに来たいということで世話して、そのお返しで愛媛のみかん畑に入れてもろたんよ。ぼくが蜂を始める前じゃけど、終戦当時、蜂蜜が一斗缶で2万円もしよる頃には、問屋が2斗袋にお札を詰め込んで買い付けに来よったんじゃと。すごい話があらあね。もうしんどなるけん、残りをやっちょいて、いのか(帰ろか)」
藤岡さんは最後の列だけ奨励給餌を残していたのが気掛かりだったようで、食後の休憩もそこそこに午後の仕事を始めた。
巣門の前で餌を横取りに来た別の群の蜂が攻撃されていた
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