2023年(令和5年4月)70号

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限られた2年間、厳しい方を選ぼう

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 西岡養蜂園の源流を辿れば、祖父の勇(たけし)さんが自宅庭先で飼っていた数群の蜜蜂に始まる。

 「祖父はサラリーマンだったんです。体の弱かというのがあって、趣味で蜜蜂を飼っていて傍に蜂がいたんですね。採れる蜂蜜は自分で食べる分と親戚に配る分くらいでした。自分では蜂が身近にあり過ぎて、逆に羽音に敏感だった記憶はありますけど、どこかで蜂に親しみは感じていたんでしょうね。小学校の作文で養蜂家になりたいと書いていたらしいです。母が言っていましたもん。親父は一代でイ草を始めて、親父も苦労しているんですよ。10人兄弟の7番目。みんな男で女が1人、皆、都会に出てしまっていて、祖父がサラリーマンだったけん、親父がイ草をやる農地もなかったので頑張っていたんですよね。親父がすごく仕事をしよる人だったんで、私は長男で農家に生まれたんで、八代農業高校へ行くことを疑わなかったですね。その頃は野球をやっていたんで野球ができれば良いくらいの考えだったですもん。高校を卒業する頃はバブルの時代だったんですよ。サラリーマンが楽と思っていたけど、家の農業を継ぐとやったら、これからは園芸科かなと思って……。高校を卒業する時に2年間は他所に修業に行かせてくれんかと頼んで、それで親父は藤井養蜂場とタキイ種苗の試験場を探してくれたんですが、藤井養蜂場は休みがない、タキイ種苗の試験場は日曜日が休み。どうせ限られた2年間だったら、厳しい方を選ぼうと藤井養蜂場に修業に行ったんです。この2年間の修業で厳しい藤井の親方との出会いが貴重だった。厳しかったけど、それ以上に仕事が面白かった。2年もせんうちに、これで人生をやっていこうという気になりましたね。蜜蜂で飯が食えるようになりたいなと思うようになっていましたから、私には合っていたのかも知れません。そこで大きく人生が動いたですね」

 「2年間の藤井養蜂場での修業を終えて、親父と一緒にイ草栽培を始めましたが、10年間でイ草の栽培量を倍に、ミカンも倍に、蜂は元が10箱ですから何10倍と増やして、イ草は10年で止めたんです。イ草の最後の年には農林大臣賞を貰ったけど、イ草に魅力を感じなかったんですよ。それで親父に了解をもらって、イ草に区切りを付けたんですけど、それまでイ草の植え付けに1ヶ月、刈取りに1ヶ月、一年間に2ヶ月はイ草に取られていたので、その分を蜂に使えれば、もっと伸ばせるなと思ってですね。蜂だけにしてからは、自分のやりたいようにしてグーッと伸びたですね。趣味だったけど、祖父から始まった養蜂が私の息子たちで4代目まで繋がった。4代前からうちには蜂がいたんで、家族のようなもんだったんですよね」

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