ポコトスカーナの蜂場が眼下に望める
タブノキの新芽
標高178mのハチミツ農園ポコトスカーナのデッキから大村湾を望みながら、気になっていた佇まいの集落があった。尾戸半島に囲われた形上湾の一部になるのだろうか、湾の入口に小さく突き出した半島の南側に湾曲した入江があり、その入り江の波打ち際に沿って民家が並んでいる。手崎地区の海辺の集落だ。人びとがこの地に住み着いた時から、日々の糧は目の前の海から得ていたであろうことは間違いない。その地で代々暮らしてきた人びとの話を聞いてみたいと思ったのだ。
手崎集落へ行こうと、ハチミツ農園ポコトスカーナの蜂場を出発した時、ここの蜜蜂たちはどんな植生から花蜜を採ってくるのかと気になった。そこで、蜂場前の舗装された坂道を上へ歩いてみる。道の両側は藪というか雑木林というか、人が踏み入るのを拒否するほど密集している。福岡洋典さんが買った20年間放棄されていたミカン園が、こんな状態だったのだろうか。さらに上へ歩くと、大きな重機が入って斜面を掘り返し、レンガ色の荒々しい赤土が剥き出しになっている。剥き出しの赤土の周りを歩くと、緩くカーブを描く所に野良着姿の女性が居て「長崎市にある施設がキャンプ場を作るらしいですよ」と教えてくれた。
羊歯が芽吹く
女性の立っていた平らな土地に夫の実家があって、建物はもちろん暮らしを思い出させる何も残っていないのだが、月に1回は草刈りに来ているのだ、と言う。足下に2人分の飲み物と弁当らしきものが入ったカゴが置いてあった。彼女の頭上に蕾のような赤い花を見付けた。その花の名前を尋ねたが「さあ」と、つれない。続けて「これ花じゃなくて、新芽じゃないですか」と言う。良く見ると、確かに古い葉の芯から空へ向かって赤い新芽が出ている。タブノキの新芽だ。
女性に礼を言って、先ほど上ってきた坂道を下り始めると、木立の間からポコトスカーナの蜂場に並べられた巣箱が小さく見え、その先に手崎地区の集落も見える。蜜蜂が花蜜を採るような花は1つも見付けることができなかった。手崎地区へ行こう。車に乗って国道206号まで坂道を下る。ポコトスカーナを初めて訪ねた時、この坂道の途中に幾つか立ててある道案内の看板に助けられたことを思い出した。目印らしい物は何もない山道を上っていると、あと何分と手書きされた看板が、どれ程安心させてくれたか。福岡夫妻の心配りが伝わってくる。
坂道に入り近くなると丁寧な案内看板が立ててある
国道に出たら左へ曲がり、しばらく行くと間もなく岬へ入る道がある筈だ。と、思って車を走らせるが、見付けられずに国道を遠くまで走ってしまった。Uターンして再度挑戦。ようやく、ここで良いのかと不安を感じるほど細い道を一本見付けて強引に曲がった。岬の尾根へ行く道のようで緩やかな上り坂だ。やがて展望が開け、左側の木立の先に形上湾が見えてきた。右側は住宅が建ち並んでいる。続いて、目の前に丸みを帯びた平たい石を高さ4mもあろうかと思えるほど積み重ねた石垣が現れた。石垣の上部が生け垣になっている。この石の数は尋常ではない。石垣の長さは10m余り、厚みが2mもあろうかと思える。どこかから運んだ石なのか、手崎の海岸にある石なのか。楕円形で平たい石を平(ひら)に積み重ねて築いた石垣の存在感に圧倒された。
兎も角、海辺へ行きたかった。楕円形の石を積み上げた石垣の角が三差路になっていて、右へ折れると海岸へ下る坂道らしいが、あまりにも急坂で狭く、その先がどうなっているのか分からない。この三差路はやり過ごし、真っ直ぐ進むと道はいよいよ狭く、サイドミラーが生け垣に当たる。しかし、今更、後戻りはできない。前へ前へと車を進めると道は緩やかに下り海辺に到着することができた。海辺は腰の高さで防潮堤に囲まれ、人っ子一人居ない。海に浮かぶ船も見当たらない。取りつく島もないのだ。
手崎地区集落の平らな石を平積みした石垣が地域の歴史を感じさせる
仕方なく防潮堤に沿って歩くと、先ほどの楕円形の平たい石を積み重ねた石垣と同じ造りの小さな石垣がある。高さが1mほどで厚みは50㎝、長さは7、8mありそうだ。すぐ近くには倉庫に使われているらしい建物の土台に、平たい石を平積みした同じ構造の石垣があった。どうやら防潮堤ができる以前は、この石垣までが波打ち際だったのではと思われる。
そんな昔の様子を聞いてみたいが、人が居ない。網小屋らしき小さな建物が1軒あったが使われているのか、いないのか。手崎地区の海辺の集落はポコトスカーナのデッキから見て想像したような、海と一体になった暮らしを感じることはできなかった。現在では、小さな浜辺の漁業では暮らしが成り立たないのかも知れない。海辺に暮らしながらスーパーで魚を買ってくる暮らしは残念だが、楕円形の平たい石を平積みする石垣の文化は、遠い昔、海辺で暮らす人びとの労働と知恵と技術を伝えていて、心に残った。
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