2023年(令和5年6月) 72号

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キハダ、アザミ、シナが大当たり

 1948(昭和23)年に健一さんの父、東太郎さんが農業の傍ら蜂を飼い始めた時が辻井養蜂場の創業だ。「神戸の俵養蜂場の初代に親父の姉が嫁いでいましてね。それで養蜂を勧めてくれたのが始まりなんです。親父の弟の嫁さんの出身が北海道の中川町なんでね。北海道との繋がりは、その頃からで、私は高校を卒業して19歳から養蜂を始めて、50回くらいは(北海道へ)行っとるんかな。こんなに長く行くつもりじゃなかったんですけどね。18歳から20歳までは夏、叔父さんの北海道の養蜂場に手伝いに行っていました。それで、山へどういう入り方をするというのが薄ら分かりましたね。親父は72歳の時に蜂の仕事は引退しました。17、8年間は親父と一緒に仕事をやったことになります。親父が亡くなったのは90歳くらいだったけど、引退後は蜂を扱うことはなかったですね。

豊岡の方は親父が主で、私が23歳で結婚したんで、その翌々年から北海道は私が主で行きました。北海道は慣れるまでが大変でした。アブがすごく多い。お盆に気温が上がったらすごい。熊も多いですよ。ほとんど毎日のように姿を見ますよ。観光客が通行止めになっている時には、道路にも糞がいっぱい落ちていましたからね。昔は北海道のシナの花が大豊作で、朝、蜜採って、夕方には、これ蜜採りを忘れとったんかというくらい蜜が入っとった話や、シナが蜜を吹いてクマザサの上に落ちた花蜜を蜂が舐めて帰ってきよったという話も叔父さんから聞きました。私が北海道へ行き始めた3年目に詐欺まがいの業者に引っ掛かって北海道の収入はゼロですよ。それで種蜂をやったり、固い商売も始めると、引っ掛かった分くらい取り返しました。5年目に大当たりしたんですよ。その年には蜜の値段も良かったしね。ええ蜂も残ったですし、それからが病みつきですよ。キハダ、アザミ、シナが大当たりで、こりゃ面白いと思いましたね。1日に平均で(一斗缶)20本。その頃、北海道はアザミが良かったんでね。アザミは外れがなかった。5年目から10年目くらいまで続いたかな」

 「女房とは、私が20歳の時に成人式で偶然会ってね。その時に節ちゃんが絡んどるんですよ。23歳で結婚するんですけど、本格的に養蜂に力を入れるようになるのは、それからです。女房は『農家は嫌いだと言いましたもん。床の間におってくれたら良いと言われて嫁に来た』と言いますけどね。結婚して北海道だけは独り立ちして、北海道が私の稼ぎだったからね。子どもが生まれて6か月で北海道へ連れていきましたよ。旧式の遠心分離機で(蜜を)採っていましたから大変。当時は、豊岡でも花が沢山あったんでね。レンゲ蜜を採るのに朝5時に起きて……、女房は4時に起きて弁当作ってレンゲの蜂場に通ってね。頑張ってくれましたね」

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