塩谷町を北から南へ流れる荒川の堤防に蜜源となるニセアカシアの大木が立つ
荒川の堤防に蜜源のニセアカシアの大木が10数本立つ
採蜜の時期は終わっていたが、蜜蜂たちが花蜜を採ってくる蜜源の花はどこに咲いているのか。「羽音に聴く」の取材では毎号のことだが、その現場を直に見てみたいと欲求に駆られる。小野田裕一さんに「蜜源はどこにありますか」と尋ねる。そもそも蜜蜂が花蜜を採りに行くのは、半径2キロ以内と聞いているので、歩いて行ける範囲だ。
裕一さんは即答だった。「すぐ近くを流れる荒川の土手にアカシアがありますよ」。「えっ、あの東京に流れる荒川の上流ですか」「いや、あの荒川とは違いますけど、鬼怒川と並行するように流れて栃木県那須烏山市で那珂川に合流します。上流には、尚仁沢湧水(しょうじんざわゆうすい)といって、標高590メートルの所に環境省選定の名水百選に選ばれた湧水があります」。私の気持ちが動いた。よし、尚仁沢湧水を目指そう。
裕一さんが蜂場へ出発する前、ニセアカシアの木のある荒川の土手へ案内してもらった。群生という状態ではないが、幹周り1.5メートル余りのニセアカシアの大木が10数本、桜と並ぶように立っている。玉生美蜂場の店舗裏の蜂場から直線で1キロほどの距離だ。流蜜期には蜜蜂たちが空高く咲く房状の白い花と巣箱を頻繁に往復したであろうと想像できる。
山道の傍で根元を露わにするセイヨウトチノキの巨木
しばらくニセアカシアの木を撮影した後で、尚仁沢湧水を目指した。荒川の堤防から県道63号線(藤原宇都宮線)を北上し、尚仁沢湧水駐車場に車を停める。広い駐車場に5台の車。そこから案内板に従って広い舗装道路をしばらく歩くと、発電施設らしい堰があった。ここからは山道、といっても整備された遊歩道の雰囲気だ。「さあ行くぞ」と、勇んで足を踏み入れた坂道の入口に看板。「ヤマビル出没 熊に注意」。気合いが削がれる。
ヤマビル出没注意の看板は何枚も貼り出されている。「ヤマビルには毒はありません。噛まれたら無理に引き離さず、塩や防虫スプレーなどをかけて剥がしてください。傷口から血を押し出すようにして血と一緒にヒルジンという血液が固まらない成分を流し出し……」。詳しく書かれていればいるほど、リアルに存在が迫ってくる。上着の襟を立てて帽子を目深く被る。ヤマビルは上から落ちてきて、下から這い上がるという。もちろん足下は長靴だ。
沢の流れが始まった尚仁沢湧水の源泉付近
遊歩道の整備はされているが、高低差が激しい。後期高齢者には堪える。細い遊歩道の向こう側から中年夫婦がやってきた。まだ、午前9時を過ぎたばかりだ。よっぽど早くに山に入ったのだろう。「お早うございます」と声を掛けるが、黙って横を通り過ぎた。無愛想な夫婦だ。山で会ったら声を掛け合うのがマナーだろ。続いて、ちょっと高齢の夫婦がやって来た。声を掛ける。快活な声で女性の返事が返ってきた。旦那は無表情だ。すぐに続いてフル装備のカメラマンらしき男性がやって来た。胸と肩にカメラを各1台、背中のザックには三脚が見えている。本格派だ。声を掛ける。やはり、何となく親しみを感じる。色々情報を仕入れたかったが、挨拶だけですれ違ってしまった。次にやって来たのは、紫色の上着に幅広帽子を被り、白っぽいスラックスの女性がひとり。「お早うございます」と声を掛けると、「ハーイ」と明るい返事。「湧水まで後どれ位ありますかね」と尋ねる。ちょっと考えて「あと200メートルくらいかな」と教えてくれる。おっ、もうすぐだ、と元気が出る。奈落の底に落ちるような下り坂には鉄製の階段が造ってある。しかし、最後の所で階段が曲がっていて、その下がどこまで続くのか見えない。帰りはこれを登らなければならないと思うと、ちょっと憂鬱だ。何とか階段を降りて、しばらく歩くと「湧水まで400m」の看板。おいおい、さっきの「あと200メートルくらいかな」は何だったんだ。山道の傍に巨大な根っ子が剥き出しになったアメリカブナの木。少しの間その巨木を撮影していると、三脚を手に持ちリュックを背負った若い女性が無言で遠慮がちに通り過ぎた。
尚仁沢湧水から流れ出したばかりの沢
すぐ脇を流れる沢は、アメリカブナの近くで上流からの水流が幾本にも別れ、湧水源が近いことを知る。そこからは平坦な散策道を歩き、細い流れに架かった木造橋を渡るとちょっとした広場に出た。そこに立つ看板で湧水源に到着したことを知るが、ちょっと肩透かしだった。湧水というからには、地下から噴き上がるように水が湧き出て、それが幾筋もの流れを形成し、合流し一本の川になるイメージを抱いていたが、辺りを見回しても湧水源を確認することはできなかったからだ。最後に、広場に立っていた看板を紹介する。
「この湧水は高原山麓の広大な自然の中で、日量6万5千立方メートルを噴出している。四季を通じ湧水量は一定で、水温は11℃前後と変化なく、太古のままの姿をいまに伝え静かに湧き出ている。 昭和60年7月22日」
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