マヌカハニーと出会い
昼前から商品の配達と営業に出掛ける
美谷島豪さんは、国立長野工業高等専門学校環境都市工学科で土木と建築、それに環境系生態学を学んでいたが、3年生の時に1年間休学してスノーボード工場でアルバイトをして資金を貯め、夏はプロスノーボーダーの兄(41)と兄の友人も一緒にニュージーランドへスノーボードをしに行ったのが、人生の分かれ道になった。プロのスノーボーダーを目指す決意が固まったのと、この地でマヌカハニーやクローバーハニーと出会い、美味しい蜂蜜の味を知ったのだ。ニュージーランドから帰ってからの夏は、居酒屋や花火の打ち上げでアルバイトをし、冬はスノーボード場でのアルバイトも兼ねて、ひたすらスノーボードで滑って過ごした。
春になって、1学年下の学生と一緒に高専3年に復学し、結局、豪さんは6年間掛かって21歳で高専を卒業した。卒業はしたものの就職するつもりはなく、夏できる造園業、林業、茶摘みなどの仕事を探していた時、偶々、養蜂場でアルバイトをしていたスケートボーダーの先輩から「冬は休ませてくれるよ」と聞いたのと、ニュージーランドで美味しいマヌカハニーに出合っていたことが養蜂の道へ引き寄せた。「スノーボードをしたいだけだったんで、夏の仕事は何でも良かったんだけど、自分が面白いと思える仕事をやりたいと思っていたから、野外の仕事で蜂蜜が好きというのもありましたね」。しかし、5月6月7月は、残業が100時間というような仕事だった。「やってみて」と言われて蜂場へ入ると、「最初はびっくりしましたね。先輩とは3歩遅れて蜂場に入りました。どうして俺んとこばっか刺されるんだろうって、不思議でしたね。その年の雪が降るクリスマスくらいで辞めて……、翌年のゴールデンウイークから働き始めて6年間、27歳まで働きました。お金がなくて、冬もスノーボードやらないで養蜂場で巣枠作りをしたこともありました。そこの蜂場は、秋に2000群もの蜜蜂が居る大手の養蜂場で、王台の確認を1人で1日に60箱くらいしました。その他に出荷だとかもあって、50年間ほど経験を積んだ女性従業員がいて、彼女から養蜂技術を学びましたね。やってみたらはまりました。蜂蜜は採れるし、花粉は採れるし、ローヤルゼリーやプロポリスは採れる。そういう世界が巣箱の中に丸ごと詰まっているというのが面白いと思いましたね。長野で採れる蜂蜜もすごく美味しいと驚きました。蜂場は20か所以上あったんですけど、戸隠で採れた蜂蜜が一番美味しいなと思って……」。
27歳まで養蜂場で働いた豪さんは「スノーボードの仕事にスポンサーが付いて、養蜂場の時給は上がらないし……」と養蜂場を辞めたが、その後2年間は平日に花火工場で働き、土曜と日曜は花火の打ち上げをやり、合間には大工の仕事もやった。
Supported by 山田養蜂場
Photography& Copyright:Akutagawa Jin
Design:Hagiwara Hironori
Proofreading:Hashiguchi Junichi
WebDesign:Pawanavi