標高1467mに祀られる第九勢至菩薩にはオミナエシの花が寄り添うように咲く
飯綱山南登山口駐車場傍に建つ鳥居と狛犬
これまでの経験から山頂まで辿り着くのは無理だと分かっていた。だから「できる所まで」と、美谷島豪さんには何度も言っておいた。でも、豪さんに「できる所まで」の意味は伝わらなかっただろう。なぜなら豪さんにとって、飯綱山(いいづなやま・1917m)は子どもの頃から何度も登り、ちょっと散歩するくらいに馴染んだ山だからだ。
豪さんがスマホに送ってくれた飯綱山南登山口の地図を頼りに車を走らせた。地図が示す地点に到着すると、鬱蒼とした森の入口に狛犬一対と石造りの鳥居が建っていて、ちょうど登山者2人が鳥居を潜ろうとする後ろ姿が見えた。鳥居の東側が広場になっていて駐車場らしき雰囲気なのだが、車は1台も停めていないし駐車場の表示もない。近くを車で廻ってみたが、駐車場らしき場所はなかった。結局、鳥居横の広場に駐車して、いざ、出発だ。雨は降っていないが、空はどんより。私の格好は例によって、上下は雨合羽に長靴、カメラは1台。食糧は元よりペットボトルの水さえないことに気付いた。せめて水だけでもと自動販売機を探したが、ある筈もない。前回の過ちを、又、繰り返すのか。豪さんが教えてくれた「ちょっと登ったら、富士見の水場がありますよ」の言葉が頼りだ。
鳥居を潜ってすぐの登山道
鳥居の建つ標高を調べると1181m。つまり山頂まで登っても標高差736mの登山だ。少し安堵感が湧いた。時刻は午前10時28分。鳥居を潜った。すぐに木の根が剥き出しになった緩やかな上り道だ。ずんずん登った。すると突然、舗装道路が目の前に現れた。何と言うことだ。すでに自然深い登山道を登っていると思っていたのに、頭が混乱する。標示板がある。どうやらここからが本当の登山道らしい。「ここから先は登山の装備が必要です」とある。不安がよぎる。標高は1208m。わずか27m登っただけなのに、じっとりと汗をかき、下着が貼り付いている。急がずに登ろう、できる所までだ。
5分も登ると、登山道脇に咲き始めたばかりのノリウツギが目に入った。さらに15分ほど登ると第一不動明王の石像と、傍に1合目の表示標1268mだ。南登山口の掲示板によると、これから頂上までに十三仏が祀られているらしい。さて、それからだが、5歩歩いては休み、3段登っては休み、雨合羽の上着は脱いで手に持った。雨が降るなら降れという気分だ。すでに汗でびしょ濡れ。
登山道を登り始めてすぐの所に咲いていたノリウツギの花
3合目の第七薬師如来の辺りで、正午を知らせる鐘の音が下界から聞こえてきた。まだ俗世間と繋がっている1430mだ。登山道は良く整備されていて歩きやすいが、私の体力が、いや、気力が萎えてきている。ともかく富士見の水場までは登りたい。1歩1歩足を運ぶ。大きな岩の上に祀られた第九勢至菩薩(せいしぼさつ)の傍にオミナエシが咲いている。標高は1467m。先ほどから羽音を立てて蜜蜂が一匹、私を追ってきている。恐らく私の雨合羽か長靴かカメラに、昨夕まで蜂場で撮影していた時の蜂蜜の匂いが残っているのだろう。蜜蜂を驚かさないように無視して登り続ける。
緑一色の森の中に、オレンジ色のオランダツツジが咲いている。そこから少し登ると、小さな広場に出た。駒つなぎ場だ。広場の縁に第十一阿閦如来(あしゅくにょらい)が祀られている。駒つなぎ場に薄日が射してきた。取材メモに標高の記載がない。集中力が切れていたのだ。私の体力が限界だったのだろう。恐らく標高1550mほど。富士見の水場は、まだ先だ。ここが「できる所まで」かなと思った途端、気持ちが折れた。時計を見ると、午後12時52分。鳥居を潜ってから2時間24分。「もう少し登ってみよう」と、更に上を目指した。小径の脇にアメリカシモツケソウが咲きかけているのを見付けた。そこから少し進むと登山道は狭くなり、その先は急な上り坂だ。再び、気持ちが折れた。その途端、羽田空港から宮崎へ飛ぶ最終便に間に合うのかと、不安がよぎった。
オランダツツジが登山道の傍に咲く
下り径は休まず夢中で歩いた。被っていた帽子を途中で落としたことさえ気付かなかった。左脚が痙攣するのを揉みほぐしながら運転して長野駅前でレンタカーを返却し、新幹線で東京駅へ、山手線とモノレールを乗り継いで羽田空港の航空会社カウンターに到着した時、最終便の搭乗受付締切時間に5分遅れていた。駒つなぎ場で「もう少し登ってみよう」と思ったことを後悔した。後悔先に立たず、決断は迷わずだ。
シモツケソウの花
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