2023年(令和5年10月)75号

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ビワ畑から瀬戸内海を望む

ビワ畑にて

 標高400m前後の頂が南北に連なる七宝連山(しっぽうれんざん)に向かって瀬戸内海の波打ち際から立ち上がる傾斜地の裾野に、曽保(そほ)地区の民家が並び、その一画に吉田能國(よしくに)養蜂場の倉庫と作業場がある。

 海辺に近い傾斜地の裾野に立って七宝連山の頂を望むと、中腹辺りから上部は濃い緑色のミカン園が連なっているが、所々で黄緑色に広がる面を確認できる。「あの場所がビワ園なんです」と、桂吾さんが指差す。葉の表面に産毛が生えたような新葉が伸びる時期で、ビワの木全体が黄緑色に見えているのだ。

 吉田能國養蜂場は12月に採るビワ蜂蜜が特徴だと聞いていたので、ビワの花は咲いていなくても、ビワ園の今を撮影しようと思い立った。曽保地区の民家を繫ぐ小径は当然だが坂道だ。その坂道を横に繫ぐやや水平な道も含めて、真っ直ぐ伸びる道は一本もない。どうしてここまで複雑な網の目のような道になったのだろうと、不思議に思えるほどだ。いつの時代か、人びとが住み着いて以来、気の遠くなるような時間を積み重ね、住民が踏み固めて出来上がった道だ。瀬戸内海沿岸の温暖な気候を考えると、曽保地区は、記録に残る歴史が始まる以前から身近な海の幸や山の幸を採集して糧を得ていた時代が、起源なのかも知れない。

曽保地区でカンナの花が

 そんなことを考えながら、民家の間を抜けて緩やかな曲線の坂道を上り始めた。小径を上れば民家は散在になり、自家菜園やミカン園が増えてきた。小径の脇のミカン園を囲むようにビワが植えられていて、防風林となっている。小径の端に立ってビワの新葉を撮影していると、道の下で軽トラックが停車しているのに気付いた。見ると、運転席には女性が座っている。撮影を止めて広くなった所まで移動すると、軽トラックはゆっくり動き始め、私の横を通過する時、運転席の女性が軽く頭を下げた。荷台には濃い緑色の小玉ミカンを入れたコンテナが幾つも積んである。極早生ミカンの収穫が始まっているようだ。

曽保地区を歩くとザクロが実を付けていた

 さらに上を目指すと坂道は途切れ、南北に水平に繋がる広いコンクリート造りの農業用道路が現れた。農道の両側は獣除けの電柵が張られているため、傍のミカン園に入ることはできない。近くに新築されたばかりのモダンな家が見えた。都会から移住して、瀬戸内海を見渡す見晴らしの良さが気に入って家を建てたという感じの家だ。曽保地区の若い世代が分家して新築したのかも知れないが、曽保地区に新しい人の流れが生まれているのは確かなようだ。

 そのモダンな家の脇から上る農道に電柵はなく、上に大きな倉庫が建っていた。その周りがビワ園になっている。ようやく見付けたビワ園を撮影していると、小型トラックが倉庫の前まで入ってきた。運転席に2人、荷台にも2人乗っている。運転していた40歳代の男性がチラッと私を見たが、何も言わず、倉庫のシャッターを開けて中に入っていった。荷台に乗っていた60歳ほどの女性に「ビワの木の写真を撮らせてもらってます」と声を掛けると、「どうぞ」と返事。どうやら近くのミカン園で仕事をしていて、昼食を摂るために涼しい倉庫にやって来たようだ。カメラを持った不審者が自分のビワ園に入って来ている状態だが、特に咎める様子はなく救われた気持ちだった。それから少しだけ撮影をして、帰り際「ありがとうございました」と倉庫に向かって声を掛けたが、返答はなかった。

曽保地区のビワ畑にて

 曽保地区内の小径をぼんやり歩いていると、ほとんど人影を見ることはないし、畑で仕事をしている気配を感じることもない。しかし、先ほどの軽トラックの女性やビワ園の家族にしても、営みをしている人びとと現実に出会ってみると、姿こそ見えないが一軒一軒の屋根の下で、それぞれの家族の物語が紡がれていることに思い至り、時を重ね、創り上げられたこの地域の長い歴史の前に少しの緊張感が胸を過る。

 

参考:直線にすると吉田能國養蜂場の倉庫からわずか10キロほどしか離れていない紫雲出山遺跡(しうでやまいせき)は、香川県三豊市詫間町に所在する弥生時代の高地性集落遺跡で、2019年10月16日に国の史跡に指定されている。

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