どちらかというと蜂は嫌い
ハウスの交配から戻ってきた巣箱を内検し、蜜の溜まっている巣板は持ち帰って搾るために、朱里さんが武さんに手渡す
こうして始まった桂吾さんの養蜂業だが、能國さんの体力の衰えが顕著になっていくのを見過ごすことはできなかった。そのことを桂吾さんは「成りでやっているだけ」と言っているのだ。又、桂吾さんは「情熱を持って始めた訳じゃない」とも言っていた。どうやら桂吾さんは照れ屋なのかも知れない。そんなところが能國さんとも気が合ったのだと思う。というのは、朱里さんが能國さんの若い頃にミカン農家の研修に行った時の写真を私に見せて「どれが父だと思いますか」と聞く。「親分肌だった」とか「地域や人の世話をするのか好きだった」と聞いていたので、8人ほどがミカン畑で並んでいる中央の男性を指さすと、朱里さんは首を横に振る。結局分からず仕舞いで教えてもらうと、後ろの列の端っこでちょっと控えめに座っている男性だった。意外とシャイな人だったようだ。聞いていた豪傑タイプの人物像とは異なっていたが、だからこそ桂吾さんとは気が合ったのかも知れない。
この日の作業を全て終え、朱里さんがホッとした表情を
見せる
ところで朱里さんは、父親の養蜂業を手伝っていたのだろうか。
「全然でした。父が養蜂をやっていた時には家の近くにも巣箱が置いてあったんですけど、分封する時なんか、玄関の前で塊になって蜂が飛んでいたりして、どちらかというと蜂は嫌いでした」
それが今では桂吾さんの相棒としてなくてはならない働きぶりだ。さすがに吉田能國養蜂場の娘だと思っていたが、桂吾さんから再び、驚く事実を聞かされた。
「能國さんは自分で屋号を付けるような人じゃなかったから……、僕が勝手に吉田能國養蜂場って付けました。近くに吉田養蜂場というのがあって間違う人がいたというのもありますけどね」
それだったら、普通、吉田桂吾養蜂場とするだろうと突っ込みを入れたくなるが、そこが桂吾さんの桂吾さんたるところなのだ。能國さんへのリスペクトを感じるし、朱里さんへの愛情も伝わってくる。
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