2024年(令和6年4月)77号

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溢れとる。継ぎ箱にしないと

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 この日は、午後から義父の髙野さんと軽トラを連ねて白山市白峰(しらみね)へ。髙野さんが以前、養蜂の教えを請うた養蜂家が亡くなり、お悔やみと残された継ぎ箱を貰い受けに行くことになっていた。ところが片道1時間ほど掛けて軽トラを走らせて白峰の目的の家に到着すると、亡くなった養蜂家の親戚らしき男性が駆け付けて「残した継ぎ箱は自分が1箱1万円で亡くなる前に購入してあったんだから持って帰って貰うわけにはいかない」と、抗議する。思わぬ展開に髙野さんと孝徳さんは呆然とするばかりだ。突然そう言われて無理に継ぎ箱を持って帰る訳にもいかず、来た道を1時間掛けて引き返すしかなかった。

 風はなく穏やかで暖かい日だっただけに、白峰への往復はもったいない時間だった。浜佐美蜂場に帰り着いたのは午後5時に近い。「普段なら、こんな時間は仕事しないんですけどね」と言いながらも、私の取材への配慮もあったのだろう、越冬後の蜜蜂の状態を把握するために孝徳さんは内検を始めた。越冬のために巣板を7枚にしてあった巣箱の蓋を開けた途端、孝徳さんが「ムダ巣に産卵しとるんで、もう一杯一杯まできていますね」と声に出し、巣板が9枚入る通常の大きさの巣箱を運んでいる。もう日暮れが近いため、巣箱の交換は翌日にするようだ。

 孝徳さんが次の巣箱の蓋を開ける。「わぁーっ、溢れとる。だめだこりゃ継ぎ箱にしないと……」。越冬後の群の成長は孝徳さんが想像していた以上のようだ。嬉しい誤算とでも言うのだろうか。次々と越冬を終えた群の内検を進める孝徳さんが気に掛かっていた群がある。「3枚群で越冬させたら結構残っとるわ。これなら桜(蜜の採集)はきついけど、アカシアはそこそこ大丈夫ですね。ほんとうは2回(蜜を)採りたいけど、ちょっと難しいかな」

 期待と不安が入り交じる越冬明けの内検だ。

 「例年だと、山の蜂場でウワズミザクラを採った後、5月8日にアカシアの(採蜜群として)浜佐美の蜂場に戻れば丁度という感じなんです。越冬明けで心配している時に、8℃くらいの気温で飛んでくれたら、ああ、(無事に越冬)出来たんやなあって安心しますね」

 養蜂家にとって雪深い北陸の地で蜜蜂を越冬させる難しさは、素人の私にも想像できる。それを「できるだけ自然の状態で」というのは挑戦と言えるが、一人で養蜂を行うようになって僅か3年目で満足のいく越冬ができたことは、孝徳さんの大きな自信に繋がっているようだ。師匠と呼ぶ野々山純さんから学ぶ影響の大きさは、野々山さんに対する感謝の気持ちを孝徳さんが何度も言葉にしていたことで伝わってきていた。

 取材を終えてから「スーパーの魚屋を止めてまでして、養蜂をやろうと思ったのは何故」と、孝徳さんに敢えて聞いた。「浜佐美蜂場は(蜜が)採れた時はすごい採れるんですよ。通常の2倍とか3倍近くまでも採れるんです。一攫千金的な魅力を一回知ってしまうと、もう止められないです。一人でやることになった時も蜂場はすでにあるし、道具も揃っとったんで不安はなかったですね」と、孝徳さんの答えは明快だった。

 養蜂は自然の変化の中で命を扱う仕事だ。これから先の長い歳月には、自然の変化に翻弄される苦難の年があるかも知れない。そんな時には、今芽生えている自信を糧に、命を扱う仕事という原点に立ち戻って乗り越えて欲しいと願いながら早春の北陸を後にした。

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