仕入れ先は自然ですから
産卵のために巣板を移動する女王蜂の周りに働き蜂が寄り添う
京都市北区、閉店間際の大衆食堂には、私たちの他に露地の奥にある大学の学生らしき女性が2人居るだけだった。パイプ式テーブルに向かい合って座った木村純也(きむら じゅんや)さん(45)が、株式会社ORG代表取締役/農環境デザイナーと肩書きのある名刺を出しながら「僕は養蜂家というより、農業環境デザイナーなんです。農業コンサルと養蜂の2本建て。養蜂を基礎にした新しい事業を起こしたいんです。起業家と言ってもらっても結構です」と、自己紹介する。
「まだ修行中ですけど、蜂を触っても、あいつは一人前だと言われたいです。蜜蜂って、こんな大事な生き物って他にいないじゃないですか。もっと社会から関心を持ってもらえるような仕事をしていきたいんです」
女学生2人はいつの間にか店を出ていた。初老の店主が早く店を閉めさせてくれというようにジリジリしている。そんな時に木村さんが身の上を語り始めた。
サクラ蜜は終わりに差し掛かっているため、巣門前は働き蜂の出入りが激しい
「ぼくが30歳の時に父親が63歳で亡くなって、絶体絶命やったんですよ。元々お金がなかったから、失う怖さがないから、やれたんだと思います。同業の商売敵が多く、満足できる良い商品は持ってなかったけど、農家を食べさせてやりたいという志は高かったと思います。実家が肥料屋を営んでいたんで、京都にはレベルの高い人たちがいたんで、その人たちから学び、肥料を売るだけではなく土壌改良の相談に乗ったりしているうちに、10年間で肥料の売上げを7倍くらいまでにしました。お金の苦労もいっぱいしました。肥料販売と農業コンサルで全国を歩いていましたが、その中で徳島(県)へも良く行っていたんですよ。そこの農家が養蜂とイチゴと葉ネギをやっておられて、そこで働いていた中国人の女性から『木村さんも養蜂やらん』と唐突に声を掛けてもらって……。直感みたいなもんで、そこまで考えていないんですよ、縁なんでしょうね。私自身が肥料屋にうんざりしていたんでしょうかね。2018年に一年間、養蜂の勉強に徳島に通いました。父親がやっていた京都農販という個人商店を引き継いだ30歳の時に法人化していましたけど、2019年に農業コンサルと養蜂の2本建ての株式会社ORGを起業し、ブランド名「HONEY.K」を立ち上げたんです。蜂蜜はまだまだ可能性があると思うんですよね。良いものを食べたら、これはどういう環境で出来ているんだろうと思うじゃないですか。ポテンシャルとして魅力ある食品ですよね。やりがいでかいですね、蜂蜜って。蜂があれだけ働いてくれるので、原価率は低いんですよ。仕入れ先は自然ですからね。そこは夢があるなと思っています」
大衆食堂の引き戸を開けて人の気配がすっかりなくなった暗い露地に出ると、すぐ背後で店のシャッターが閉まる音が聞こえた。
京都一周トレイルの標識北山58は、上賀茂蜂場のすぐ傍にあり時折トレッキングスタイルの人びとが通り過ぎる
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