京北美山のサクラは終わり、しだれ桜が少し残っていた
散り間際のしだれ桜の枝が茅葺き屋根に映える
「蜜巣板は最後のサクラ蜜なんです。フジ蜜と入れ替わる時期なので、毎日搾らないと蜜が混じりますからね。サクラの流蜜は終わる間際が良いんですよ」と、教えてくれたのは大台典史さん。上賀茂蜂場周辺の木立を見ると、高い梢に絡みつく紫色の藤の花は見つかるが、桜を見ることはすでにできそうもない。そこで「今だったら、まだ、咲いているかも」と、大台さんに教えてもらったのが、京北の桜の名所「美山かやぶきの郷」だ。
京都市北区の株式会社ORG事務所から大通りに出て、きぬかけの路を金閣寺とは逆方向の西へ曲がり、世界遺産の名刹として知られる竜安寺と仁和寺の下を通り過ぎてから国道162号線に入る。約600年の歴史と美しい木肌で知られる北山杉の産地京都市北区北山地域を抜けて桂川沿いを過ぎると、桂川の支流である弓削川に沿って谷間を走ることになる。弓削川を右に左に何度も橋を渡り、気が付くと弓削川の流れは道沿いに見ることは出来なくなっていた。開けた田園風景の中をしばらく走り、由良川に掛かる平屋大橋を渡ると「道の駅美山」だ。資料によると由良川は丹後由良の河口から日本海へと注ぐとあるので、気付かずに美山町深見辺りで分水嶺を越していたことになる。「道の駅美山」を過ぎた三差路を右へ曲がると、県道38号線を由良川を上流へと向かい、やがて「美山かやぶきの郷」に到着だ。
京北美山の集落はサクラの名所
「美山かやぶきの郷」はすっかり観光化されていて、県道38号線から茅葺き屋根の民家が建ち並ぶ集落が左手奥に見える地点で、広い駐車場に誘導される仕組みである。有料駐車場は午前の早い時間だったためか、まだ5、6台の乗用車が停まっているだけ。近くに土産店や飲食店が少し軒を連ねている。美山集落背後の山の斜面は山桜の林らしいが、すっかり葉桜になっている。遅すぎた。美山集落手前の田んぼで田起こしが始まったばかりで、トラクターが何度も田んぼの端から端を行き来している。
為す術もなく美山集落の中央を真っ直ぐ上る緩やかな坂道を歩き始めると、目の前にしだれ桜が目に入った。散り始めだ。なかなかの大木である。すぐ傍らにはもちろん茅葺き屋根の民家。手前の石垣には芝桜。目指した蜜源の桜ではないが、兎も角は桜だ。段下の屋敷は花畑になっていて赤黄ピンクなど色とりどりのチューリップが咲いている。私の背丈の倍ほどまで伸びたパンパスグラスの大きな株を回り込むと、チューリップを切り採っている婦人がいるのに気付いた。「しだれ桜の写真を撮らせてもらっています」と声を掛けると、「どうぞ」と返ってきた。婦人は、すっかり開いたチューリップを屋内で楽しもうというのか、球根を採るために花を切っているのか、足下に置いた竹かごが一杯になるほどチューリップを切っている。観光化された集落だが、一軒一軒の茅葺き屋根の下では日常の暮らしが営まれているのだ。
黒田百年桜もすっかり終わっていた
美山集落の中は、縦の緩やかな坂道と水平の横道が交差する碁盤の目のように小径が通っている。集落の中を歩いてみると、別にもう一本のしだれ桜があったが、すっかり散って若葉になっていた。仕方ない、もう一度、先ほどの芝桜とチューリップの家へ行ってみると、アジアの近隣国から訪日している観光客の大型バスが到着したようで、しだれ桜を背景に賑やかなスマートフォンでの自撮り合戦が始まっていた。美山集落での撮影を諦めて駐車場へ行くと、係の女性が「もうお帰りですか」と声を掛けてくれた。桜は終わっているし、団体の観光客で一杯だからと事情を伝えると、その女性が「今朝のNHKニュースで黒田百年桜が満開と言っていましたよ」と教えてくれた。
資料によると、黒田百年桜まで30分ほどで行けるらしい。黒田百年桜は京都市内より遅れて春を告げる桜として知られている。ヤマザクラの突然変異で10から12枚の八重の中に一重が混じる珍種で、紅色の大輪の花が手鞠のように固まって咲き、幹周りは約3.1メートル、高さは約8メートル。樹齢は300年余とある。よし、これに賭けるしかないとレンタカーを走らせた。何と言ってもNHKの保証付きだ。が、しかし、現地に到着してみると、拍子抜け。確かに黒田百年桜の標識と樹齢300年を感じさせる太い幹の桜ではあるが、花はほとんど散り終わりだ。どんな理由で、この朝、NHKがニュースで放映したのか分からないが、迷惑な話である。せめて散った花びらだけでも撮影しようと幹周りをウロウロしていると、ガガガガーッと大きな音をたてて白い乗用車が歩道の縁石に乗り上げた。初老の男性が車から下りて、車体の下を手で触っている。縁石の高さが車高より高かったため車の前を擦ったようだ。その男性がカメラを持った私の姿を見て声を掛けた。「写真撮りかな」「そうなんですよ。今朝のNHKで放送したと聞いたもんですからね」「そうなんだよ。俺もNHKのニュースを見て来たんだよ。なんだよ、これ。終わってるよな」。声に少々怒気を孕んでいる。「ところで、あんた何処から来た」と聞く。「宮崎、九州の宮崎から」と答えると、「宮崎からここまで来たの。俺、熊本出身なんだよ。建築の仕事で長いことこっちに居るうちに、そのまま住むようになったんだよ。俺、もう一本桜を知ってるけど、案内してやろか」と、積極的だ。詳しく聞くと、かなり険しい山道を行くらしい。諦めざると得なかった。
結局、思い描いたような桜の写真は撮れなかったが、ちょっとした出会いが印象的な小旅行であった。
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