浅間山の天明の大噴火のすさまじさを伝える大岩。橋詰将太さんが子どもの頃は登って遊んだそうだ
群馬県指定の天然記念物「鳴尾の熊野神社大スギ」。空海の杖から根が生えたという伝説もある
いつだって橋詰将太さん(43)は、唐突な話で私を戸惑わせたが、取材を終えて別れの挨拶をしている時もそうだった。
「先祖がな、浅間山の噴火で埋まったから、だから(故郷を)離れられねえのかも知れない」
橋詰さんが私に言う。おいおい、それは、1783年に浅間山が噴火した天明の大噴火の話だろ、と突っ込みたくなるような橋詰さんの時間の感覚だ。何より、242年前の大災害の犠牲者を自らの身に引き寄せて「先祖が埋まった」と表す想像力に、橋詰さんの故郷に対する強い愛着が伝わり、驚く。
浅間山の天明の大噴火を調べてみると、天明3年4月9日(旧暦)に噴火が始まり、90日間続いたとある。特に鎌原村(かんばらむら・現在の嬬恋村鎌原地域)は、火砕流や土石なだれでほぼ壊滅し、村の人口の約8割にあたる477人が死亡したとある。(ウィキペディア「天明大噴火」による)橋詰さんの言う「先祖が埋まった」は、この大噴火で犠牲となった村人477人への哀悼の気持ちが込められているのだろう。
橋詰さんが「案内します」と、私を最初に連れて行ってくれたのが「先祖が埋まった」と表現する元鎌原村だった。天明の大噴火からおよそ150年後に、曾祖父が開拓に入った土地である。橋詰さんによると、入植者は10軒余りあったらしいが、現在は、橋詰さんの「ばあやん」宅1軒だけになっている。ばあやんの家と鎌原蜂場に続く小径の入口脇に高さ4mほどもある尖った巨大な岩がある。「子どもの頃に、この岩に登って遊んだ」と橋詰さんが教えてくれた岩だ。天明の大噴火の時、浅間山から吹き飛んできたのか、火砕なだれ土石流れによって押し流されてきたのか。天明の大噴火のすさまじさを今に伝える巨大な岩である。
もう一か所、橋詰さんが取材初日に案内してくれたのは、群馬県が天然記念物に指定している鳴尾の熊野神社大スギだ。樹齢は伝承で1100余年、樹高は41.3m、胸高周囲7.6mの巨木である。空海の杖から根が生えたという伝説もあるが、橋詰さんは「真面(まとも)か分かんない」と素っ気ない。
轟さんちの蜂場近くの洞窟に祀られていた磨崖仏の観音様と脇侍
鳴尾の熊野神社大スギは熊野信仰の修験者が信仰の霊場とした所で、大スギから80mほど登った岩窟には梵字が刻まれているらしいが、私はこの日体調がすぐれず、すぐに息切れして食欲もなかったので、大スギの根元に座り込んで撮影しただけだった。後日、橋詰さんが言うには、軽い高山病に罹っていたのかも知れないとのことだ。最初に案内してもらった元鎌原村も鳴尾の熊野神社大スギの地点も、標高1200mほどの高地だ。到着していきなり動き始めたのは不用意だった。
もう一か所、橋詰さんが誘ってくれたのが「轟さんちの蜂場」近くに祀ってある観音様だ。取材2日目に「轟さんちの蜂場」に到着すると、「近くの洞窟に観音様があるけど、行ってみないか」と声を掛けてくれた。
橋詰さんは「すぐ近く」と言っていたが、道路から崖を下りて観音様へ続く小径の降り口が見つからない。ようやく見つかると、かなりの急坂で滑る。それも結構な距離で、橋詰さんも「こんな下だったかな」と呟いている。小径の縁に沿って張ってあった細いロープを頼りに足を滑らしながらでも転ばずに観音様の洞窟まで到達することができた。
洞窟は想像していた以上に大きく、間口は3〜4mだが、洞窟内部の幅は6〜7mはあったように思える。高さも3m近くはあっただろう。いきなり洞窟に入ったため真っ暗で何も見えず、少しの間は座り込んで目が闇に慣れるのを待つと、間隔を置いて祀られている2体の仏像が見えてきた。しかし、良く見ると2体の石像に風雪に耐えた歴史を感じられない。橋詰さんは無言のまま私の後ろに座り、撮影の様子を見ている。私は2体の仏像を入口から差し込む光で撮影して戻ろうとしたが、その時、洞窟奥の壁面中央に何かの気配を感じた。石像を撮影しながら、2体の仏像の間隔に違和感を感じていたが、深くは考えていなかった。気配のあった壁面中央の空間をじっと見つめていると、ぼんやり浮き上がってくる磨崖仏が認識できた。種類は判別できないが、これが観音様だ。ほとんど洞窟の壁面と一体化しているため闇の中で磨崖仏と認識するのに時間が掛かった。ようやく納得のいく気持ちになった。2体の石像は、近代になって誰かが祀った観音様の脇侍だったのだ。改めて洞窟壁面に彫られた磨崖仏を意識して撮影を終えて振り返ると、崖の小径を足早に上っていく橋詰さんの後ろ姿が見えた。
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