初代は貨物列車に巣箱を積んで
店舗開店前に駐車場の清掃をする石川裕児さん
小雨模様だった。平日の昼過ぎだというのに、株式会社 長坂養蜂場の店舗は商品を選ぶ客で所狭しの状態だ。入口でお盆に載せたウェルカムドリンクを配っていた店員さんに来訪の意を告げると、「お待ちしていました芥川様。養蜂部マネージャーがすぐ参りますので……」と、いきなり私の名前を告げられて戸惑いながらも、社内コミュニケーション力の高さが伝わってくる。
間もなく繋ぎ服姿の養蜂部マネージャー石川 裕児(いしかわ ゆうじ)さん(56)と黒澤 和(くろさわ のどか)さん(27)の2人が姿を見せた。店舗奥の会議室へ招かれて石川さんの差し出した名刺の肩書きに「ぬくもりビーキーパー」とある。
午前9時から朝礼が始まり、社員同士のコミュニケーションの場になっている
「うちの会社の経営理念が『ぬくもりある会社をつくりましょう』ということで『ぬくもり』がうちの会社のキーワードなんですよね。僕は、両親と一緒に隣の磐田市で農業をしていたのですが、50歳の時に養蜂をやると決めて、小森養蜂場(「羽音に聴く」58号https://littleheaven-bee.jp/58/参照)で1年間修行した後で、長坂養蜂場の養蜂部に入社したんです。そのまま農家をやっていても良かったけど、親が敷いてくれたレールに乗ったままの人生に疑問を感じて……。養蜂を選んだ理由ですか。これといった明確な根拠はないのですが、父がメロン農家をやっていまして、交配のための巣箱が身近にありましてね。父親が巣箱を開けたりしていたのを子どもの頃から見ていましたから、蜂に親しみはありましたね。それと子どもの頃に転地養蜂家のテレビドラマを見たのが、印象に残っていたのかも知れないです。花を追って家族で移動する養蜂家の暮らしに憧れたというのですかね。長坂養蜂場でも初代の喜平さんの時代は転地養蜂で旧国鉄の貨物列車に巣箱を積んで、初夏の北海道へ移動していたんですよ。現在では、農薬が優しくなったので、地元で採蜜する「三ヶ日みかん蜂蜜」がうちの主力蜂蜜になっていますが、初代の時代はみかんの農薬が強くて三ヶ日町では蜂を育てられなかったと聞いています」
平山蜂場周辺の三ヶ日みかんの農場では色付き始めたみかんが収穫を待つ
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