蜂屋になるのは当然のこと
求さんがダニ駆除剤の代わりにエヒメアイを巣板に散布する
求さんには撮影のために2群だけ内検をしてもらうことができた。内検を終えると、カボチャ畑に移動する準備で、巣板を軽く釘止めしている。手袋はしていないが面布を着けている。私の視線に気付いたのか、求さんが「普段は面布を着けていないんですけど、今日は蜂を避けるというより蚊除けですね」と説明する。沖縄の森の茂みには12月に入っても蚊がいるようだ。そういえば半袖姿の勉さんが、先ほどからパチパチとむき出しの腕を叩いている。私は面布を着けて手袋もしているので、蚊には気付かなかっただけなのだ。
勉さんから新垣養蜂園の歴史を伺う中で、長男の伝さんより早くに求さんが養蜂家宣言をしていたと聞いて、その辺りの経緯を聞いた。
ダニ駆除剤を使わないでダニを落とす方法を模索する求さん
「父ちゃんが仕事としてやっていたから生活の中に巣箱はあったし、蜜蜂が居ましたから、蜂屋になるのは当然のことのように感じていたんじゃないですか。幼稚園の時に、蜂箱があって人が居て、蜂が飛んでいる様子を絵に描いたのを覚えていますよ。子ども心に一瞬でも蜂屋に対する憧れみたいな気持ちがあったのかも知れないですね。屋上の蜂場は自分の中では遊び場のイメージですからね」
求さんは幼稚園に通う頃から養蜂をやりたいと意志表示をしていたのだという。残念ながら求さんの経歴を詳しく伺う時間はなかったが、新垣養蜂園の対外的な窓口や屋上の蜂場の管理は長男の伝さんが担当し、種蜂や交配、採蜜の蜜蜂群を外の蜂場で管理するのは二男の求さんのようである。
求さんと初めて会った昨夕のことだ。都市化した那覇の街で、どのようにして蜂場を確保しているのかを聞いた。
「街をバイクで走っている時に、この場所、花も多いし、蜂場にいいなと思ったら脇道に入って行って人が居たら、ここに巣箱を置かせてくださいと頼むんです。許してくれるのは、地球を自分のものじゃないと思っている人ですね。自然はみんなのものですから……。そうして車一台分くらいのスペースを借りるんです」
唸るような大らかさだ。これができるのは求さんの人柄なのか、那覇の街が持つ許容力なのか。想像してみる。那覇の街角のあちこちに巣箱が一つずつぽつんぽつんと置いてあって、人びとの暮らしの中で蜜蜂がブーンと飛び交う風景。何だか宮崎駿監督のアニメ映画の世界のようだ。
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